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今年最後のモード商会のオープンハウスは、明日の土曜・日曜の2日間ですが、

なんと!神戸でも一等地でも人気のあのマンションです!

当日は予約ももう、頂いておりますのでお早めにお越し下さいませ^^

夜景ご希望の方はご相談くださいませ。大事な方と見に来られてください、ぜひ!

今年もいろいろと、みなさんに支えられ、応援して頂きやってこれました。
本当にありがとうございました。
来年も皆様とのたのしい神戸ライフをつくっていけたら、うれしいです^^
どうせなら、地元のお店でながくつづくお付き合いをしていけたらいいですね!!
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日頃、モード新聞で表紙を書いて頂いる日原さんに書いて頂きました。
ハガキサイズもございますので、ご希望であればプレゼントいたしますので!
闘わないでガンが消えた

 闘わなくていい、夢や希望を持って闘うのではなく、受け容れれば良い、ということの実例を新聞記事でみました。

 すい臓ガンで、余命1年と宣告され、残された人生を楽しもうと、財産の全てを処分して現金にし、外食や旅行などで貯金を使い果たしたイギリスの男性が、病院側に賠償を求めたそうです。

 余命宣告を受けて2年が過ぎたところで、ガンではないと判明したけれど、そのときは既に仕事を辞め、持ち物を全部処分していた。財産を全て使ってしまったため、病院に1部を補償するように、とこの男性は言ったといいます。

 病院側は「同情はするが、診断の結果としては別の結論はあり得なかった。2年前は確かにガンだった」とコメントしているとか。

 この男性は末期ガンでどうしようもなく、後は死ぬだけです、というような宣告を受けたらしい。それで家屋敷を全部売り払い、1年間遊び続けたのだそうです。さらに命が続いたので、2年間遊んだところでお金が全部なくなってしまった。

 宣告を受けてから2年が経つのにまだ命があることを不審に思って、再び調べてみたら、ガンがなくなっていたそうです。これは誤診だから補償するように、と病院側を訴えたという話でした。

 目の前の現象と闘って思うようにしよう、としているうちは神様は味方をしません。が、その状況を受け入れて、ニコニコとリラックスしながら生きていくと、神様が味方をしてくれることがあります。

 この男性は、死を覚悟し、遊び続けたので、ガン細胞が消滅してしまったらしい。せっかくガン細胞が無くなったのだから、闘わないほうがいいのかもしれません。
神様からのプレゼント

 すべてのことについてそうですが、不安や心配や懸念や恐れというのは、今までやってくださってきた方に対して、何の感謝もしていないということです。

 未来的に心配するということは、実は今何事もなく淡々と過ぎている時間が、何事も起きていないのではなくて、何も起きていない無事なことが起きているということ。無事であるということが毎瞬間毎瞬間起きているのです。

 これが感謝の本質です。手に入れるものが感謝ではなくて、穏やかに暮らしていることが感謝。

 英語で過去はパスト(PAST)、未来はフューチャー(FUTURE)、現在をプレゼント(PRESENT)といいますが、プレゼントとは神の贈り物です。現在何も起きていない、ということこそが最高の神のプレゼント。

 何も起きていないということは、自分にとって辛かったり大変だったりすることが起きていないという、とんでもないことを起こしてくれている毎秒毎秒の連続なのです。本当の感謝はそこにあることに気づいたら、打ち出の小槌を手に入れたことになります。

 この打ち出の小槌は両刃の剣です。「ありがとう」を言えば言った数だけ、それを言いたくなる現象が降ってきますが、愚痴や泣き言を言っていると、同じ数だけそれを言いたくなるような現象が降ってきます。

 どちらを使いこなすかは自由です。が、「ありがとう」を言っていると、とても面白い。
「打ち出の小槌」を上手に使いこなしてみてください。

 ところで日本人の死因は、第1位がガンで30.4%、第2位が心臓麻痺・心筋梗塞で約16%、第3位が脳梗塞・脳溢血で約11.8%です。3つ合わせると、だいたい3人に2人がこの3つが原因で亡くなっています。
 
第1位のガンは免疫不全、第2~3位は高血圧から引き起こされていて、その原因はどちらも「ストレス」。日本人の死因の約60%にストレスが関わっています。
 
整体師をやっている50代の男性が、講演会の後の自己紹介で話してくださったことがあります。
「私は、これまでずっと、健康を維持するためには食事、運動、姿勢の3つが大事だと患者さんに話してきました。でも正観さんに会って、その価値観がガラガラとくずれてしまいました。健康に大きく関わっていたのはストレスだったのですね」
 
私は、食事は何でも食べますし、運動はしていません。私の講演会に参加した方はお分かりになると思いますが、話すときの姿勢も背筋を伸ばしたりはしていない。むしろ猫背気味に、肘で体を支えるようにして話しています。見た目は虚弱体質そうですが、実はこれまで病気をまったくしていません。
 
1番重要なのは「ストレス」が体に影響を与える、ということらしいのです。
 
明治初期に、日本で初めて平均寿命が調査されました。平均寿命は、その年に亡くなった人たちの年齢を平均値にして出したもので、零歳の人があと平均何年生きられるかを示しています。その平均寿命が、明治初期には30歳ちょっとでした。

 江戸末期を生きた良寛和尚という人は、1831年に74歳で亡くなりました。そして今から2500年前のインドで、お釈迦様は80歳まで生きました。2人とも、時代背景からみてもかなりの長寿だったといえるでしょう。
 
この2人のように、悟ったといわれている歴史上の人物には、長命の人が多いようです。悟った人にはストレスがない、ということも関わっているかもしれません。

 

 クヨクヨしない

今、日本人の20代の若者で1番多い死因をご存じでしょうか。第1位は、自殺、第2位が不慮の事故です。そして第3位は、悪性新生物、つまりガンです。

 私たちは、魂が肉体という着ぐるみを着ている状態です。

 1人1人、全ての人が生まれる前に着ぐるみを選んで決めてきました。この着ぐるみには一長一短があります。ほっそりして、手足が長くて色白、目はぱっちり、というタイプがいます。

 反対に胴が長くて色黒、ちょっと太めで、たくましく生き抜くことができるタイプがいます。

 見た目がよくて、誰からも愛されて長命なのだったら、誰でもそちらを選ぶでしょう。だから、どちらにも良い点があるように、バランスよく作られました。

 生まれてくる前に、着ぐるみのある3種類の部屋へ行きます。1つは、見目形がよくて短命、という着ぐるみの部屋。もう1つは、見目形はどうでもよいけれど長命の部屋。そしてこの間にもう1つ部屋があって、ここには見た目がほどほどで、寿命もほどほど、という着ぐるみが入っています。

 私たちは、この3種類の部屋のどれかから、自分の意志で着ぐるみを選んできたようです。

 泉重千代さん(1865―1986)といえば、元世界最高長寿の記録保持者として有名ですが、長寿の秘訣を聞かれて「クヨクヨしないこと」と「神様と仏様とお天道様のおかげ」をあげたそうです。そしてある記者が遊び心で、聞いてみた。

「重千代さん、今でも女性に興味はありますか?」
 さすがにここまで高齢になると「もう興味はない」という答えが返ってくるだろう、と思っていたら、
「そりゃ、あるわな」

 記者はおどろいて、さらにこう聞きました。
「そうですか、どんな女性がタイプなのですか?」
「そうじゃなあ、わしは年上の女が好みじゃ」

 世界最高齢ですから、年上の人は世界中どこにもいない。
 このことからも長命の人に共通していえるのは、
「クヨクヨしない」、「年を取ったという自覚がない」ということのようです。
親が子どもに「ありがとう」

 たとえば自分の子どもだと思うから、子どもに対して怒って何とかしなさい、と言ってしまいます。自分の子どもではなくて神様からの預かり物だと思ったら、わが家に来てくれてありがとう、と感謝の目で見ることもできます。そして子どもというのは面白いことに、何にでもありがとうと言っている親の姿を見ながら育っていくので、この子どもの口からも「ありがとう」がたくさん出るようになります。

 学びの本質は「まねび」から来ています。親が何かを言葉で言うからその通りになるのではなく、親の生き様、生き方をそのままコピーをして、まねびをしながら育っていきます。親が、この子どもの幼い頃から「わが家に来てくれてありがとうね」と言っていると、この子どもが最初に覚える言葉は「ありがとう」になる。
 
 この子どもが「ありがとう」をたくさん言うようになると、学校の成績は関係なくなります。「ありがとう」がこの子どもの口から出てくるようになると、先生からも愛され、同級生からも愛され、社会に出たときに、成績ではなくて周りの人から愛される人になって生きていけるので、勉強のできる人より「ありがとう」の人に育てたほうが、ずっとこの子にとっては楽。

 でも「ありがとうと言いなさい」と命令した瞬間から言わなくなります。
 親が笑顔でありがとうを言い続けていくこと。だから、達成目標、努力目標なんて示す必要はないのです。自分がいかに喜ばれるか、ということを考えながら、頼まれごとをするように、頼まれごとがたくさん自分のところに来るように生きていけばよい。
頼まれごとの中で利他的に

 私たちは生物学的に「ヒト」です。人は1人で生きていると「ヒト」。人は人の間で生きていて「人間」。つまり、多少なりとも役に立ったり喜ばれたりすることが人間としての役割であって、動物とは全然違う。動物が集まって教室を開いて、どう生きるべきか、と話し合うことはないでしょう。それをするのは「人間」だからです。
 
自分の思いを持てば持つほど、自分がどう駆け上がるか、向上心を持とう、という話になってきますが、結局は自分がどんなすごい人になるかということで、洗脳されています。
 
自分がどんなにすごい人になるかは関係ないから、全部それを投げ捨ててしまって自分が頼まれごとを受けていく。それは間違いなく喜ばれている、ということです。
 自分で達成目標を作って駆け上がっているときは、誰も喜んでくれていないのかもしれません。頼まれごとは、必ず頼んだ人は喜んでくれているのだから、その頼まれごとの中で利己的に生きるのではなく、利他的に生きる。
 
その利他的も、人を何とかしてやろう、世のため人のために何とかしてやろう、という思いはないほうがよい。喜ばれるように生きる、という方向は決めた。自分はそのように淡々と生きるけれども、「なぜあなたもそのようにしないの」と矛先を周りの人に向けるのはやめましょう。
 
自分がどう生きるかだけ。そして「私」が存在できるのは、ありとあらゆるもののおかげさまであるということに気がついて、感謝をする。腹が立つとか、イライラするとかは、全部感謝が足りないのです。


小林正観(こばやし・せいかん) 1948年生。中央大学卒。心学研究家、旅行作家。全国到る所で講演中。著書に、『楽しい人生を生きる宇宙法則』(講談社)など多数。小林正観氏の講演日程は→
http://www.skp358.com/
喜ばれる 『喜ばれる──自分も周りも共に幸せ』
46判 仮製 192ページ定価:1500円(税込)ISBN978-4-06-214487-2講談社2008年1月28日刊行

疲れない生き方

 人間は何のためにこの世に肉体、生命をもらったかというと、「喜ばれる存在」になるため。それはイコール「ありがとう」と言われて生きていくことです。
 そして、自分の達成目標、努力目標を全然作らないで、頼まれごとを引き受けていく。自分の思いで生きるのではなく、「はい、はい」と言って、他人の依頼によって翻弄されて生きるという、そういう生き方をしていくと、ストレスがまったくなくなります。
 ただし、自分の努力頑張りだけの人よりも、2倍3倍の汗をかきます。働くというのは嫌なことをやっているのではなくて、はた(端)を楽にすることを「はたらく」(「働く」)といいます。

 反対に、周りに迷惑をかけることを、「はた迷惑」といいます。
 その喜ばれること、頼まれごとをやっていくだけで、ずっと働き続けるわけですが、その場合はまったく疲れがたまらない。疲れはストレスが原因なので、寝ても取れません。睡眠不足と疲れは違います。眠れば元気になるというのが睡眠不足。寝ても思う通りにならないことばかりだと思っているのを、ストレスといいます。
 ストレスが原因で疲れになります。疲れを放置しておくと、凝り張り痛みになる。凝り張り痛みを放置しておくと、臓器の故障、病気になる。病気を放置しておくと、臓器が1個停止する。この臓器の停止を死といいます。最初の原因はストレスです。
 ガンになりやすい人の職業ベストスリーというのがあります。第1位、マスコミ関係者。第2位、交通関係者。第3位、金融関係者、銀行マン、証券マンという人たちです。どうしてこの3者がガンになりやすい職業なのかというのを分析していくと、共通していることは、数字を追いかけ、数字に追いかけられるということ。
 達成目標、努力目標というのは良いことだと思い込まされていますが、達成目標、努力目標を自分で決めて、あるいは会社に決められて、そこに向かって歩き始めた途端に体の中にガンを作って、死に向かって歩き始めることになります。死ぬのは運命ですから、誰でも同じですが、できればそれまで元気なままでいたほうがよいでしょう。

喜ばれる

『喜ばれる──自分も周りも共に幸せ』よりありがとうございます!
46判 仮製 192ページ定価:1500円(税込)ISBN978-4-06-214487-2講談社2008年1月28日刊行
247.jpg「吾唯足知」

 「われ ただ たるを しる」と読み、一言で言うと「人は欲張らず、今の
自分を大切にしなさい」という意味で「足る事を知る人は不平不満が無く、心
豊かな生活を送ることが出来る」ということのようです。

 京都・竜安寺にある蹲踞(つくばい)に刻まれている言葉として有名です。
蹲踞とは茶室の庭先にある石の手水鉢(ちょうずばち)のことで、この手水鉢が
低く据えてあって、茶客が手を洗うのに、つくばうから、蹲踞と言うようにな
ったものだそうです。

 竜安寺の蹲踞は「吾唯足知」の4つの漢字に含まれる□の部分を中央に集め
て共有化し水を張るデザインになっています。 上から見ると漢字の配列はこ
んな具合です。

   吾     五
  知 唯 → 矢口隹
   足     ?
         ↑足から口を取った字

引用元
http://www.geocities.jp/young_fields/essa0502.html


PS.もっとも好きな言葉です。今日も、雨がふってくれて感謝です。
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会社案内
HN:
モード商会 三葉
年齢:
84
性別:
男性
誕生日:
1940/01/01
職業:
不動産の管理・売買・賃貸・仲介業
趣味:
食べ歩き・カフェ
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